真山仁の経済小説スパイラル(ハゲタカ4.5)を読んで考えたこと

スパイラル(ハゲタカ4.5)を読んでみた

4.5です。4と5の間のお話です。東大阪の町工場を立て直す芝野さんが主役の話です。今までのような大企業ではなく、そこには人の顔がみえる・体温の通った仕事がありました。”なにわのエジソン”と呼ばれた社長が亡くなり、小さな町工場の経営が傾きます。ものづくりを支える中小企業は大企業からいとも簡単に切り捨てられるということ、さらに後継者の問題、そこに追い打ちをかけるように発生したリーマンショックと怒涛の展開がひろがります。「カネは毒にもクスリにもなる」がこのストーリの核となっています。ネタバレになる話題は避けて個人的に勉強になった、考えさせられたフレーズを取り上げました。

スパイラルを読んで勉強になった点、考えたこと

ビジネスの成否は常に攻め続けることができるかどうか

これは何でもイケイケドンドンという意味ではなく、経営者の意識として常に攻めの意識を持っておかないといけないという意味だと解釈しました。たとえ傍からみたら守りに見えたとしても、中ではどんどん攻めておれば問題ありません。意識が守りに入った時点で歯車が逆回転しちゃうということかなと思いました。チャレンジこそ成功の秘訣!

1%の閃きがなければ99%の努力が無駄になる

エジソンの格言の天才は1%の閃きと99%の努力であるという格言の解釈。この小説は研究すは・開発者がメインですので、エジソンがまさにぴったりでした。実際に閃きがないと成功しないというのは腑に落ちます。残念ながら努力だけでは、汗をかくだけでは成功しないのが現実ですね。開発者は”閃き”、経営者は”運”という言葉を使って同じことを言っています。

健全な経営の維持には新陳代謝が欠かせない

老兵はただ去るのみというセリフの通り、主だった人間も年老いたならばすんなりと引いたほうが経営のために良いということです。実際には若い人たちが自由闊達に議論し、政策を決定していたとしても、そこには老兵の安全ネットがあるからこそ安心して行っていることがあります。その際はなおさら、甘え体質が強くなる前に身を引く必要があります。まさにこれは、私がいま実感していることで、自分より上の人がいることで(それがどのような人であろうと)私は自由に提案立案し経営を仕切っています。それは最終的に、頼れる人がいること、責任を取る人がいるから気楽にできているのです。もしその人が居なければ、私は今のように自由には動けません。つまり、いつまでもその人を頼りにしているようだと私は今以上に成長することはありません。腹をくくる時です。

今すぐ精算すべきだったのに、延命したことで大きな負債を抱えてしまうこと

これを見てドキッとしました。まさに私の働いている会社そのものです。もちろんまだ継続していますし、改善途上ですので失敗したわけでもありません。しかし、もしあの時、精算していたらもっと楽だったんじゃないのかという思いは常にあります。個人負債の額でいうと、ある一定額を超えると個人では返済できないという点は一緒なので、その分岐点のところで悩みます。例えば現状で負債3億を超えるようだと攻めの意識で良いと思います。また、外部の人たちに再生させるか精算させるかの判断を委ねるのは危険です(参考程度にしましょう)。かなりの確率で精算になります。なぜなら数字でしか会社を見ることが出来ないからです。中にいる人たちでしか、数字で見えない部分がわかりません。同時に中にいる人はそれほど数字にシビアじゃないので、継続を選んでしまいます。だから難しいんですよね。まぁ、お金がまわっている間は、何億・何兆の負債になろうと問題ありません。本質はお金がまわるかどうかだけだから。

カネがなければ何も出来ない。人の行動を制約してしまう

これは個人で考えたほうがしっくり来ると思います。私も昔はお金に苦労していたのでかなり卑屈な考えに縛られていました。お金は何でも解決してくれるものではありませんが、人を自由にしてくれます。これはある程度余裕ができたときに実感しました。お金持ちが優しいのも、留学にいくのも、ボランティアをするのもすべて自由に動けるだけの財があるからです。お金は心の余裕ともいいますよね。お金に囚われる必要はありませんが、なくても困るのでサラリーマンの人は副収入の道を探したほうがいいですよ。(貯金ではなく収入を増やすことが重要です)

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